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漢方閑話④「傘寿へ」

「漢方閑話」は『富士ニュース』に投稿しているコラムです。
こちらでは過去に投稿したものを転載します。
今回は2016年10月に投稿された漢方閑話をご紹介します。

傘寿へ

◇高校を卒業して58年、「喜寿を祝う会」が開かれました。1958年(昭和33年)304人が卒業した同級生も90人がすでに故人となられました。「俺たちの学年は数が多いんだよ。」と消息通は言います。「喜寿なんて他人ごとだと思っていたのに当事者になるなんて複雑な心境です。」「昨年は一年中闘病生活でしたが何とか向こう側から戻りました。」と「会」に返信を寄せた者など。親友の一人は「合唱、絵画、畑と時間が足りないくらい余生を楽しんできましたが昨年の暮れに突然の腰痛に見舞われ動きが取れなくなってしまった。山歩きは夢のまた夢という状態になってしまった。東京オリンピックまでは生きていたい」と心細いことを言ってきました。ITの専門家でありながらパソコンも携帯、スマホも持たず今時仙人のような生活を大都会で暮らしてきた彼の弁です。地元の合唱団に所属しカーネギホール出演を2度もこなしてきた彼です。もう一人は以前に連絡しても連絡が取れずやっとかかってきた電話では認知症のため入院していたとのこと。その後また連絡があり再発したと。今度は返信はありませんでした。私たちの小グループは卒後2年ごとに在住する横浜・川崎、沼津、富士、大阪で集まりを持ってきました。大阪の集まりでは彼がかって在籍した大新聞社を見学した折、社の係の人がまず記念撮影してくださり社内を見学、終わって出てくるとなんと普通の新聞大で「冨士校卒業10回生本社来訪」の大見出しの新聞が発行されてきたのには皆驚きました。彼の在職中の実力を垣間見る思いでした。みなが健康不安を訴える中でも富士登山は無理にしても近くの低山登山を繰り返し、町内会、カラオケ、詩吟、囲碁などにいそしむ元気印も多い。その中で「原発事故後5年半になるが昨年4月やっと除染が終わった。除染した土壌は自宅の庭に埋められたままでいつ搬出されるかわからない。」と福島県郡山市に住む者の弁。これを果たして除染というのだろうかと捨て場のない放射性廃棄物に原発は廃止するしかないとの思いを強くしました。「平和憲法を守る闘いはこれからです。教え子を外国の戦場で死なせたくない。外国の兵士も殺させたくない。海外へ軍を出すことのない国づくりを!」と元大学教授は主張します。傘寿(80才)にまた元気に会おう。この濁世に起つ同級生が思いを新たにしました。

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